サーフィンの聖地・ハワイの言葉“アイナ”。
「大地」や「土地」という意味の、この言葉を冠する「アイナ歯科」は、
2014年11月に開業。
院名には、院長である小俣さんの、「高鍋の地に根ざした歯科になれるように」
との思いが込められています。
[高鍋だったから今がある]
サーフィンの聖地・ハワイの言葉“アイナ”。
「大地」や「土地」という意味の、この言葉を冠する「アイナ歯科」は、
2014年11月に開業。
院名には、院長である小俣さんの、「高鍋の地に根ざした歯科になれるように」
との思いが込められています。
小俣さんが高鍋に移り住むことになったのは、2011年に発生した東日本大震災がきっかけでした。
神奈川県で生まれた小俣さんは、地元の大学を卒業し、仙台にある病院の歯科口腔外科に勤務していましたが、
東日本大震災で被災。自宅が津波の被害に遭い、住む場所を失ってしまったのです。
「ひとまず実家がある神奈川に帰ろうと思っていたところに、
宮崎にいる友人が僕の身を案じて、しばらくこっちに来ないかと声をかけてくれました。
せっかく話をもらったのと、こんな機会はなかなかないと思い、1カ月間、宮崎で過ごしてみることに決めたんです」
高鍋だったから今がある
高校時代からサーフィンをしている小俣さん。
学生時代、サーフィンの大会に参加するために宮崎を何度か訪れていました。
そこで宮崎へ来るように誘ってくれた友人と出会ったのだそうです。
海岸沿いにサーフスポットが続く宮崎県の中にある高鍋町にやって来たのは、
プロサーファーでもあるその友人がよく高鍋の海に入っていたからで、
言うなれば偶然でした。「毎日のように海に入っているうち、
次々と地元の人とつながっていき、たくさんの友人ができました。
高鍋の波はもちろん最高なんですけど、それよりも、ここにいる人たちが本当に最高なんです。
日に日にその深みにはまっていきました(笑)
今思うと、やって来たのが高鍋で本当に良かったです。
他の市町村だったら、予定通り1カ月で神奈川に帰っていたと思います」
まちの人々に恩返しを
高鍋に来て1カ月が過ぎ、実家がある神奈川に戻ることになった小俣さん。
しかし、そのときにはすでに、このまま高鍋に住み続けようと決心していたといいます。
「実家に戻ってすぐに両親に話をしました。
父も母も、お前の決めたことならと認めてくれたので、
高鍋にとんぼ返りしたんですよ」
高鍋へと戻った小俣さんは、宮崎市内の歯科医にアルバイトとして勤務しながら、
開業への準備を整えます。そして2年の月日が経った2014年の秋、
念願だった歯科医を高鍋町内に開業したのです。
「東日本大震災で被災してこのまちにやってきたのは自分の人生にとって本当に大きな転機でした。
まったくのよそ者である自分を温かく迎えてくれてたくさんの援助もいただきました。
こう言うとおこがましいですが、そんな高鍋の人たちに恩返しをしたいという思いがあって、
このまちで歯科医を開業することにしたんです」と高鍋での開業の経緯を話す小俣さん。
高鍋町の一員として
「このまちの魅力はなんといっても人。高鍋には若い力があふれています。
そして、それぞれが高鍋に住んでいることに誇りを持っているんですよ。
そんなみんなが、仕事や年代の枠を超えて力を合わせ、
本気で高鍋を良くしていこうと頑張っているんですよ。
微力ながら、僕もその輪に加わっているのですが、
まちがこれまで以上にパワフルになっているのを感じます」
アイナ歯科を開業して7カ月。宮崎市内の歯科医で働いていたときに知り合い、
開業後間もなく結婚した奥さんと共に高鍋での暮らしを満喫する小俣さん。
「今後は、アイナ歯科が高鍋の地にしっかりと根付いてくれることが第一の目標です。
そして、まちの発展に少しでも協力できるようもっともっと頑張っていきますよ」
ライフワークであるサーフィンが縁で高鍋へやって来た小俣さん。
仕事に趣味に、自分らしく充実した日々を送っています。
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