地元大阪でギター教室を経営しながら、各地で演奏活動を行っていた天満俊秀さんは、
奥さんである智恵子さんと共に2014年7月に高鍋町に移住。
町内にある宮崎県立農業大学校の「みやざき農業実践塾」を卒業し、
2015年7月から農業を営んでいます。
[音楽を通じて人の輪が広がる]
地元大阪でギター教室を経営しながら、各地で演奏活動を行っていた天満俊秀さんは、<br /> 奥さんである智恵子さんと共に2014年7月に高鍋町に移住。<br /> <br /> 町内にある宮崎県立農業大学校の「みやざき農業実践塾」を卒業し、<br /> 2015年7月から農業を営んでいます。
俊秀さんの大好物「佐土原なす」を始め、甘藷やネギ、
枝豆などさまざまな野菜を生産しています。
祖父が高鍋で暮らしていたという俊秀さんは、
子どもの頃から何度も高鍋に遊びに来ていました。
「10年ほど前、私のギター教室の事務として働いていた智恵子、そして生徒のみんなと一緒に祖父の家で合宿をしたんです。
子どもの頃から高鍋が大好きだったのですが、久しぶりに過ごしてみて、やっぱりいい所だなと思いました」と俊秀さん。
以来、高鍋への移住を意識するようになったのだそうです。
「私が宮崎を訪れたのは、合宿の時が初めてだったのですが、自然環境や食べ物など高鍋の魅力に惹かれました」と、
智恵子さんも移住に前向きで、いつしか俊秀さんと二人「いつか来たいね」と話をするようになりました。
音楽を通じて人の輪が広がる
それから約10年間、天満さん夫妻は祖父の実家の手入れなど、
移住に向けて少しずつ準備を進めていきます。
そして、ひょんなことから高鍋にあるライブハウスで
幾度となく演奏するようになりました。
「本当に偶然だったのですが、先輩ギタリストのホームページでライブ予定をチェックしていたら、
高鍋にあるライブハウスの名前があったんです。
高鍋にもそんな所があったのかと調べてみたところ、海外のミュージシャンも演奏を行っているような場所でした。
そんなご縁もあって、私たちも出演させていただくようになったんです」と俊秀さん。
演奏を聴きに訪れるお客さんと仲良くなるにつれ、
高鍋の知り合いがどんどん増えていったのだそうです。
智恵子さんも、「自分にとっては縁もゆかりもない土地だったので、
移り住んだ段階ですでにたくさんの知り合いがいたのがとても心強かったです。
おかげで高鍋での生活にすっと入って行けました」と、
音楽で広がった縁を実感しています。
未経験の農業を生業に
「音楽のルーツは農業」という信念を持つ俊秀さんは、
高鍋に移り住んだら仕事は農業だと決めていたそうです。
「高鍋は就農に対する行政のサポートがしっかりしていますし、
みやざき農業実践塾の存在もあったので、なんとか仕事として農業をやっていけるのではという思いがありました。
みやざき農業実践塾ではベテランの指導員が、
自分が栽培したい野菜を、実際に農家さんがするのと同じやり方で教えてくれますし、
経営面についても学べるんですよ。塾でたくさんの知り合いができたのも大きかったです」と、俊秀さん。
俊秀さんが実践塾に通う一方で、智恵子さんは隣町の農家に通い研修を受けていました。
そして一年が経った2015年7月、夫婦二人三脚の農業がスタートします。
「実際に自分たちで作業を始めると不慣れなことばかりで大変なのですが、
近所の農家さんが気さくに相談にのってくれるのでとても助かっています。
作業が遅れている畑を見て、“やっといたから”と、
こちらからは何も言っていないのに手伝ってくれたりもするんです。
いつも気遣ってくれるのがとても心強いんですよ」
初めての収穫となった佐土原なすは自分たちでオリジナルのラベルを制作し、
直売所や卸売市場に出荷しています。
これまでとは生活が一変
「高鍋に来て生活が激変しました」と話す俊秀さん。各地を演奏で回っていたときには、
夜の10時頃に演奏が終わって、その後打ち上げなどで寝るのは深夜過ぎ。
そして次の日の午前中に次の場所へ移動という、いわば完全に夜型の生活だったといいます。
「それが今では早寝早起きの画に描いたように健康的な毎日なんです。
おかげで二人とも体調が良くなりました」と智恵子さんは笑います。
住まいに関しても、大阪では自宅が隣の家と密接していたため、
物音一つにも気をつかっていたのが、高鍋ではまわりに遠慮することなく楽器も演奏し放題とのこと。
さらに、町の機能がコンパクトにまとまっているので、移住してきて以来、
不便を感じることがないのだそうです。二人は「移住して本当に良かった」と声を揃えます。
目標は農家民宿
「将来は農家民宿をしたいんですよ」と語る天満さん夫妻。
自分たちが移住して感じた高鍋の素晴らしさを、
都会の人たちに伝えたいという思いがあるのだそうです。
「実際に農作業を体験してもらったり、私たちが演奏する民謡を聴いてもらったりして、
こんな素晴らしい暮らし方があるんだということを知ってもらいたいんですよ」と俊秀さん。
「高鍋の一番いいところは人のつながりが強いところだと感じています。
東日本大震災では地域住民の絆が注目されましたが、絆は普段からの付き合いがあるからこそできるもの。
何かが起きて、急にできるものではありません。人と人とが深く関わる高鍋には、普段から絆が存在しているんですよ」
たくさんの人がつながっているので、毎日がにぎやかで楽しいという俊秀さんと智恵子さん。
目標である農家民宿に向けて、お客さんに喜んでもらうためにも、「もっとたくさんの種類の野菜を栽培したい」と、目を輝かせます。
この記事をおすすめする人
miyazaki ebooks編集部
宮崎県内の観光・情報誌や広報誌などを電子書籍にして、厳選された記事を読みやすくお届けします。
こちらもおすすめ
-
川南に移り住んだ人インタビュー『これが私の生きる道』 夫婦で農家民泊を経営、楽しい老後計画は着々と進行中
かつて日本全国から人が集い、それぞれの想いを胸に開拓が行われた川南。今でも全国各地から多くの人が移り住み、思い思いの生活を送っている。アメリカンドリームならぬ、川南ドリームの実現に向けて自分日和の毎日を送っている3組を取材してみた。