何世代にもわたって、受け継がれてきた民俗芸能。中には後継者不足で、消滅してしまいそうな芸能もあります。この貴重な文化遺産を次の世代へ引き継いでいくことは、私たちの大切な役目ではないでしょうか。

何世代にもわたって、受け継がれてきた民俗芸能。中には後継者不足で、消滅してしまいそうな芸能もあります。この貴重な文化遺産を次の世代へ引き継いでいくことは、私たちの大切な役目ではないでしょうか。

[間近で感じてください]

何世代にもわたって、受け継がれてきた民俗芸能。中には後継者不足で、消滅してしまいそうな芸能もあります。この貴重な文化遺産を次の世代へ引き継いでいくことは、私たちの大切な役目ではないでしょうか。

 私たちの祖先は、五穀豊穣や無病息災、家内安全などの願いを神楽や踊り、唄によって表現しました。そして、祖先が残した民俗芸能は、人々の生活の中に息づき、祈りを込めて舞われ、唄われ、現在まで伝えられてきました。
 また、豊かな自然や神話を有する宮崎には、それらにまつわる民俗芸能が数多く残されています。神楽、唄、踊り、太鼓を主とした芸能は、市に登録されているものだけでも63団体あり、熱心に保存活動が続けられています。

 しかし、後継者不足が原因で伝承が難しくなっている芸能も少なくありません。民俗芸能は一度途絶えてしまうと、復活させることが難しくなります。

 地域の宝である民俗芸能を次の世代につなぐためにも、まずは身近な地域の芸能に触れてみましょう。


間近で感じてください

 ほとんどの作業を人力で行っていた時代、災害などの大きな問題には村民総出で取り組む必要がありました。そのため、いざというときに力を合わせるには、普段から一体となって楽しむことができる祭りが人々にとって不可欠なものでした。
 また、村のほとんどが農民で、休まず働いていましたが、祭りのときだけは仕事から開放され、大いに楽しむことができました。祭りは、神楽を舞ったり太鼓をたたいたりして五穀豊穣などを祈願するとともに、つらい労働を乗り越えるためのエネルギー源にもなっていたのです。

 現在、減少しつつある民俗芸能ですが、その素晴らしさを間近で感じれば、絶やしてはならないものだと気付くはずです。何十年も神楽を舞った人は、それこそ神懸った舞いを見せてくれます。
 言葉では表現できないこの素晴らしさを、ぜひ体感してください。熟練した芸能は、芸術性も高く人々の心に響きます。地域の大切な文化を受け継ぐ人たちは、見る者に勇気や喜びを与えているのです。


各地区に伝わる民俗芸能

浜下り唄(清武地区)
1873年、清武町内に疫病が流行した際、中野神社の祭神に 御神幸 (神がみこしなどに乗ってお出ましになること)をお願いし、病が治まることを祈願しました。
 そして、 氏子の地区(神が守る地区)内をみこしが巡り歩き、その後方から御神幸を知らせたのです。その際、謹んでお祝いするものとしてこの唄がうたわれました。

田野町雨太鼓(田野地区)
 約500年前の戦国時代、田野の軍勢が陣太鼓(陣内で軍勢の進退の合図に打ち鳴らす太鼓)として使用したのが始まりとされています。その後、干ばつや飢餓に苦しむ農民たちが雨を呼ぶために太鼓を打ち鳴らすようになり、各地区で大きさを競って太鼓が作られるようになりました。
 現在は、毎年夏に開催される田野町太鼓フェスティバルなどで披露しています。

巨田神楽(佐土原地区)
 1547年に建立された巨田神社の本殿は、南九州では数少ない中世神社建築で、国の重要文化財に指定されています。そこに伝わる巨田神楽は33番あり、「蛇切りの舞い」で切られた綱は、玄関に飾ると厄除けに、田の水口(みなくち)に置くと病虫害の駆除になるとされ、神楽が豊作や息災を願って奉納されていたことが分かります。

木花相撲踊り(木花地区)
 明治の初めごろに大相撲が宮崎巡業に訪れた際、一行から離れ木花地区に定住した力士によって伝えられたといわれています。全国各地では昭和の初めごろまで、豊作を感謝する祝い相撲が行われていました。
 その後、これらの踊りは衰退しましたが、木花相撲踊りは現在まで受け継がれています。女性たちが力士姿に扮装(ふんそう)して踊るユーモラスな芸能です。


心に響くよう、太鼓とかねをたたきます

 親がねを担当し、保存会唯一の高校生として活動しています。似たようなリズムが続く曲のため、覚えるのに苦労しました。古くから伝わるこの雨太鼓を、これからも地域に残すことができるよう頑張ります。
 今回、みやざき民俗芸能まつりに参加するので、たくさんの人に来てほしいと思います。また、毎年夏に開催される清武郷土まつりでも披露しているので、そちらもぜひ見に来てくださいね。


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