西米良の各地区をお訪ねします。今回は、竹原地区です!

【案内してくれた人】濵砂 廣さん(88歳)
役場退職後、教育委員・村議会議員を歴任。
現在は、農業に勤しむ傍ら、趣味の囲碁・短歌を楽しむ。

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▲岩の上に悠然と立つライオンの像。

今号は、濵砂廣さんの案内で竹原地区の竹原公園を訪れました。

もともと水田が少なく自給米が足りない農家が多かった竹原地区では、33戸の農家が協力し、大正15年から共同田を開拓しました。

その際、春之平の中央に造成したのが竹原公園です。「公園は住民みなが集まり、大きな岩が集まっている土地を整備して庭園にしました。そこに元米良にあった天満神社を公園内に移転。

さらに牛や馬、ライオン、福助、山猫をコンクリートで作って岩の上に配置したんですよ」と濵砂さん。昭和2年には、庭園の完成を祝う共同記念碑が建立され、コンクリートの像たちとともに、公園内に静かに佇んでいます。

天満神社は年末の大祭で33番の神楽が奉納されるほか、春には受験生が合格祈願に訪れることで知られています。


▲共同記念碑と公園のシンボル・ケヤキの木。

竹原地区にはこの共同開墾のほか、飢饉や災害で食料に困った倉仲間に穀物を貸し出す「仲間倉」、生産物の共同販売、道路建設への無報酬参加など、住民みなが手を取り合っていた歴史がいくつも残されています。

その団結力の強さは、大正3年に一ツ瀬川に吊り橋を掛け、開通を祝ってみなで渡ったところ重さで橋が落ちてしまった(幸いにも死者は出なかった)というエピソードも残っているほど。


▲竹原天満神社。脇には地区の共同加工施設も。

地区では労働だけでなく娯楽にも力が入れられたそうで、濵砂さんによると「手踊りや太鼓踊りも熱心に披露されていました。

昭和4年に取り止められてからは、太鼓踊りは知る人がいなくなり、消滅してしまったのは惜しまれるところです」とのこと。公園のシンボルであるケヤキの木を眺めながら、当時に思いを馳せてみるのもよいですね。


▲天満宮の裏には平成27年に県立美術館と開催したアートプロジェクト「たこらさるく」の会場跡が。


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miyazaki ebooks編集部

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