宮崎市で輝いている人を紹介する「キラリ! 宮崎人」。
今回は、長年にわたりJリーグの宮崎キャンプを支えている
宮崎市スポーツアドバイザー、川崎公村さんです。

【川崎 公村(かわさき ゆきむら)さん】
宮崎市スポーツアドバイザー
1941年生まれ。東京での板前修行時代にサッカー関係者と親交を深めたのが縁で、帰郷後の昭和54年に宮崎では初となるヤマハ発動機サッカー部のキャンプ誘致を実現。以来、30年以上が経過した今でも同氏を頼って宮崎に来るチームは後を絶たない。

後の日本代表監督である故・渡辺正さんらと親交

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後の日本代表監督である故・渡辺正さんらと親交

12月7日、J1リーグ年間1位の成績を収めたサンフレッチェ広島の優勝報告会に参加した川崎さん。 16年前、同チームの設立に尽力し、総監督も務めた今西和男さん(現吉備国際大サッカー部総監督)らと協力し、 宮崎キャンプを実現しました。「森保監督や佐藤寿人、森崎兄弟らなじみの面々と喜びを分かち合えて、私もうれしかったです」

料理人として東京で修行中だった川崎さんが、サッカー関係者と出会ったのは昭和34年のこと。 競技経験のなかった川崎さんでしたが、後の日本代表監督である故・渡辺正さんらと出会い、数々の選手たちと交流を深めていきました。
「彼らの誘いで試合を見に行くうちに、ロシアやスウェーデンなどのチームの一流選手のプレーに夢中になりました」


▲横浜F・マリノスのキャンプを激励し、果物を贈呈(平成27年2月)


「友達のためになるなら」と練習場所や宿舎探しに奔走

川崎さんはその後帰郷し、昭和50年に市内に割ぽう料理店を開業しましたが、ヤマハ発動機サッカー部監督だった杉山隆一さんから「キャンプ地を探している。宮崎はどうか」と相談を受け、練習用のグラウンドや宿舎探しに奔走。

「ただただ、友達のためになるなら、という気持ちでした。宮崎市は空港が近く、練習環境も申し分ない。ビタミン豊富な果物も充実しているなど、キャンプ地として理想的なんですよ」


関係者との間に生まれた絆は小さな配慮の積み重ねから

Jリーグのチームがキャンプに来た際は、食事や宿泊の悩みなどを細かく聞いて回り、要望に応える努力をしているという川崎さん。その小さな配慮の積み重ねが、たくさんのサッカー関係者との信頼関係を築いてきました。

口蹄疫で宮崎に大きな被害が出た平成22年、ワールドカップ南アフリカ大会で日本代表監督を務めた岡田武史さんが宮崎に来て、畜産関係者やサッカーをしている小・中学生を激励したのは、川崎さんの声掛けで実現したもの。東日本大震災でスタジアムが被災して練習環境に苦慮していた鹿島アントラーズに、宮崎での練習を勧めたのも川崎さんの発案だったといいます。

現在は本業の傍ら、宮崎市スポーツアドバイザーとして、キャンプシーズンを中心にチームと施設・宿舎側との調整など多忙な日々を送る川崎さんですが、「大好きなサッカーや、友達のため、そして宮崎のためになるなら喜んで続けたいですね」と笑います。宮崎、そして全国のサッカー関係者にとって、川崎さんはなくてはならない存在です。


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大好きなサッカーや友達のため、そして宮崎のためになるなら。|(宮崎市スポーツアドバイザー・川崎さん)-キラリ宮崎人スペシャル 写真

miyazaki ebooks編集部

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