西米良で元気いっぱいに活躍中の人たちにスポットを当てる『わちらの時代』。今回は、西米良でそれぞれの夢へ向かって邁進中の若者たちに注目しました。

特産品で村を元気に!
地域おこし協力隊として活躍する壹岐さん。中学校で一大プロジェクトをスタートさせました。

[「で、実際どうやと?」
今年4月に始まったプロジェクト。西米良中の生徒はどう感じているのでしょうか。壹岐さんが本音に迫ります。]

西西

特産品で村を元気に!
地域おこし協力隊として活躍する壹岐さん。中学校で一大プロジェクトをスタートさせました。

 西米良中学校の生徒が、デザイナーや生産者などの外部講師を迎えて村の特産品のパッケージや新商品のアイデアを考案する『西米良村の特産品応援プロジェクト』。1年生は村内の生産者の話を聞くなどして村の特産品を知り、2年生は加工グループの皆さんと連携して新商品を考案。3年生は販売促進につなげるためのパッケージやPOPなどを作ります。

 今年始まったこのプロジェクトの仕掛け人は、ユズ団地で働く壹岐拓朗さんです。
 西都市出身の壹岐さんは、地域おこし協力隊として西米良にやってきて、村の生産加工グループと新商品の開発に携わりました。
 「商品自体すごくいいものなので、もっと売れてもいいのにと思っていたのですが、ユズにしても椎茸にしても、よその土地でも特産品だったりするんです。
 そんな中で村の特産品を売っていくには、他の地域と差別化できるものが必要です。それは何なのだろうと考えると、やっぱり人なんですよ。その人のぬくもりをなんとか商品に付加できないか。そこで、パッケージやラベルに手作り感を持たせることにしたんです」

 手作り感を出すには子どもたちがうってつけと考えた壹岐さんは、西米良中学校に話を持っていきます。その後、壹岐さんと中学校が協議を重ね、今年4月にプロジェクトがスタートしました。
 「商品を売るには、伝えたいことを明確にして、それをどうやって伝えるのかを考えないといけません。その過程が企画力だったりプレゼンテーション能力につながっていくと思うんですよ。このプロジェクトで、子どもたちは村の農産業について知ることができますし、生産者の方々と世代を超えた交流も生まれます。それが村の活性化にもつながれば、こんなに嬉しいことはありません」

 村外出身の壹岐さんならではの視点で捉えた村の魅力は、プロジェクトを通じて、村で生まれ育った子どもたちの誇りとなり、将来にわたって受け継がれていくことでしょう。


「で、実際どうやと?」
今年4月に始まったプロジェクト。西米良中の生徒はどう感じているのでしょうか。壹岐さんが本音に迫ります。

壹岐さん/4月から始まって半年が経つけど、何が一番面白かった?

土持さん/生産者の皆さんや関係者の皆さんから今まで知らなかったことをたくさん聞けたのがよかったです。今まで食べたことがなかったものもたくさん味わえました

壹岐さん/最初の授業で村の特産品を試食したやん。何が一番おいしかった?

土持さん/しょうがの醤油漬けがおいしかったです

吉丸さん/私は柚子ようかんがおいしかったです

壹岐さん/吉丸さんは2年生になったら新商品の開発をすることになるけど、どんなことをしたい?

吉丸さん/生産者さんの思いをしっかり受けとめて、商品に生かしていきたいです。あと、自分たちで開発した商品を直接お客さんに売りたいです。

壹岐さん/それはぜひやってみたいね。土持くんはこのプロジェクトに関わるのは今年度だけになるけどどうだった?

土持さん/来年、進学でこの村を出ることになるのですが、最後に西米良の良さを知れて本当によかったです

壹岐さん/中学校にみんなが開発した商品が世の中に出回るよう、僕たち大人も頑張らないといけないね!


子どもたちならではのアイデアに脱帽
西米良中学校黒木倫徳教頭先生

 壹岐さんからプロジェクトの話を初めて聞いた時点で、こんな素晴らしいキャリア教育はないと思いました。生産・加工・販売までを生で学べるんですから。子どもならではの視点やアイデアには驚かされることが多いです。このプロジェクトにおける学びの過程が、それぞれの進路実現の肥料になってくれると思いますよ。


フィリピンへ訪れたことがきっかけに

―中武さんは保育士として働いていたそうですね。

中武(以下、中) そうです。子どもに関わることをしたいと思い始めたのは高校生の頃ですが、大きな転機になったのは大学時代にボランティアでフィリピンの孤児院を訪ねたことですね。そこでストリートチルドレンの暮らしを見て、がくぜんとしたんです。お金がなくて教育の機会も奪われ、路上で暮らさざるを得ない子どもたち。でも私は現地では無力だし、自分の国の福祉事情すらろくに知らない。これでは手助けなんてできない!と思って、保育士として児童養護施設で働き始めたんです。

山本(以下、山) すごい偶然なんですけど、実は私もフィリピンの孤児院に行ったことがあるんです。

中 えー!そうなんですか?

山 親の知人がいる関係で、高校の時に10日間滞在しました。その時訪れた孤児院で、戦争で親を亡くした子や、恵まれない子を目にしたんです。そんな子たちのために自分ができることを考えたとき、文系の私が考えたのは教師。でも理系に進めばもっと力になれるかも、と思ったんですね。かといって農業や光学にはあまり興味がなかった。そこで決めたのが、医療への道だったんです。

-ほんとに偶然ですね!

中 私は将来、今の知識や経験を生かして、フィリピンで仕事を作りたいと思います。親に仕事が生まれれば、子どもたちの教育や暮らしにももっとお金が回るんじゃないかと思うんですよ。

山 すごーい!私も産科医として地域に貢献できるように頑張らないと。


医師が不足している山間部。これからも力になりたいな。

-山本さんは都城のご出身ですが、西米良ではどんな毎日ですか?

山 実家の都城も田舎ではありますが、地形が平地なんですよね。西米良は川沿いに道があり、集落がある。最初はその風景の違いが新鮮でした。今感じるのは、温かで穏やかな方が多いことかな。

中 それ、私も県外にいたから感じます。村外に出た同級生も同じことをいいますよ。みんな接し方が柔らかいんですよね。患者さんもそんな感じでは?

山 そうそう。患者さんにはすごくよくしてもらっています。「ユズ持ってきたよ」とか「はちみつ取れたから」といってたくさんいただき物を持ってきてくださいますし、仕事以外でも気さくに接してくださるのでありがたいですね。

中 女性の産婦人科医さんがいると、女性としてはうれしいですよ。

山 私もそう思うんです。女性ならではの病気もいろいろあるので、将来は悩み事まで受けられるような診療所をやってみたいという気持ちがありますね。

中 西米良にはどのくらいいるんですか?

山 まずはあと1年と決まっているんです。でもその後も続くかもしれないし、一度離れてもまた戻るかもしれません。山間部は医師が不足しているので、これからも力になりたいな。

中 建設現場では事故の危険もあるので、万が一に備えて山本さんにはぜひ残ってほしいです。

山 交通が不便な山間だからこそ緊急時の対応はとても大事ですし、そうできればいいなと思います。事故がないのが一番ですけどね(笑)

中 私も現場を管理できる資格を取って、まずは現場を安全に管理できる人材になりたいと思います。

山 お互い西米良でがんばりましょう!

中 そうですね!それにしてもフィリピンが共通項っていうのは本当にびっくり!

山 私も!ちょっと今度飲みにいきましょうよ!


 もともとここで生まれ育ったからなのかもしれないけれど、この村はとにかく癒されます。大阪に住んでいた頃は都会のコンクリートが窮屈に思えることもありました。でもここには、森があり、星空もある。朝も、空が白んできて、森が起き、鳥が目覚めて…みたいな、自然と一体で暮らしている感覚でほっとします。

保育士の目で見ても、都会と西米良では子どものオーラが違うんですよ!ここが地元で本当に良かったです!


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miyazaki ebooks編集部

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