世界最南端に咲く
「エヒメアヤメ自生南限地帯」―。
小林市で国の指定を受けている唯一の天然記念物です。
しかし、今そのエヒメアヤメの数は減少しつつあります。
この貴重な花のために、 私たちができることは何か考えます。
●参考文献=「エヒメアヤメ自生地の保護と増殖」吉本正義著(鉱脈社)
[●守り育てる会会長に聴く保護活動とエヒメアヤメの未来
先輩の思いを継ぎ、また次の世代へ。
一面が紫の花で埋め尽くされる日を夢見て。]
世界最南端に咲く
「エヒメアヤメ自生南限地帯」―。
小林市で国の指定を受けている唯一の天然記念物です。
しかし、今そのエヒメアヤメの数は減少しつつあります。
この貴重な花のために、 私たちができることは何か考えます。
●参考文献=「エヒメアヤメ自生地の保護と増殖」吉本正義著(鉱脈社)
エヒメアヤメは故郷の誇り。その価値と素晴らしさを認識し、保護に関わってほしい
エヒメアヤメと共に生きた60年
元中学校教諭の吉本正義さん (90歳=東方=) は、 「エヒメアヤメを守り育てる会(以下「守り育てる会」 ) 」の設立に関わり、それ以前から個人で草花の調査や保護を行ってきました。エヒメアヤメを題材にした合唱曲 『誰たれゆえそう故草』 の作詞 ・ 作曲や、各地の自生地を巡り、自費でエヒメアヤメの専門書を出版するなど、その活動の幅は類を見ません。
「野の花はどんなに小さくても、 均整がとれていて、美しい芸術作品。 その中で、特に可憐なものの一つがエヒメアヤメ」と吉本さん。
また、 「小林に住む全ての人が、故郷の誇りである生きた文化財エヒメアヤメの価値と素晴らしさを認識して、保護に関わってほしい」と話しています。もともと野草については、子どものころから興味があり、趣味は園芸。野生植物に目が向くようになったのは、父の何気ない教えがきっかけです。「草刈りを手伝っていた時、父に『天保の飢饉、猫もスミラ (ツルボ) を食す』という話のスミラはこれだぞ」と教えられたことが、植物に目が向くきっかけになりました」 。エヒメアヤメとの付き合いは、 既に63年。その縁は、元同僚で、現在植物学者として活躍する滝一郎さんとの出会いに始まります。当時、小林中学校で理科担当の教諭をしていた滝さんとは、師範学校(現在、宮崎元中学校教諭の吉本正義さん (90歳=東方=) は、 「エヒメアヤメを守り育てる会(以下「守り育てる会」 ) 」の設立に関わり、それ以前から個人で草花の調査や保護を行ってきました。エヒメアヤメを題材にした合唱曲 『誰たれゆえそう故草』 の作詞 ・ 作曲や、各地の自生地を巡り、自費でエヒメアヤメの専門書を出版するなど、その活動の幅は類を見ません。「野の花はどんなに小さくても、 均整がとれていて、美しい芸術作品。 その中で、特に可憐なものの一つがエヒメアヤメ」と吉本さん。また、 「小林に住む全ての人が、故郷の誇りである生きた文化財エヒメアヤメの価値と素晴らしさを認識して、保護に関わってほしい」と話しています。もともと野草については、子どものころから興味があり、趣味は園芸。野生植物に目が向くようになったのは、父の何気ない教えがきっかけです。「草刈りを手伝っていた時、父に『天保の飢饉、猫もスミラ (ツルボ) を食す』という話のスミラはこれだぞ」と教えられたことが、植物に目が向くきっかけになりました」 。
植物学者滝一郎さんと運命の再会
エヒメアヤメとの付き合いは、 既に63年。その縁は、元同僚で、現在植物学者として活躍する滝一郎さんとの出会いに始まります。当時、小林中学校で理科担当の教諭をしていた滝さんとは、師範学校(現在、宮崎大学教育学部)時代の同級生。小林中で再会した2人は意気投合し、吉本さんは滝さんの助手として、調査のため、共にあちこちの野山を駆け巡りました。滝さんは昭和26年に、市内でエヒメアヤメ自生地を発見。日本全国に紹介しました。その後、滝さんは小林を離れることになり、吉本さんに、市内のエヒメアヤメ自生地を案内。 「後は頼む」と言い残し、去って行ったそうです。それ以来、エヒメアヤメが吉本さんのテーマになりました。
一人の園芸家として、また守り育てる会の会員として、育苗や栽培の研究に精を出し、保護活動を続けてきた吉本さん。
「数は減ってきているが、守り育てる会や行政の取り組みの成果が、形になりつつある。後は、広く多くの人たちが保護に参加してくれれば...」 。
保護活動は、私たち市民全員が参加する次のステージに向かっています。
プロフィール:
エヒメアヤメ保護の第一人者
吉本正義さん
大正 13 年(1924 年)小林市生まれ。旧制熊本県立八代中学校、宮崎師範学校卒業。小林中、細野中などの小・中学校に勤務。国語と音楽が専門で、小林中校歌の作曲も手がけた。紙屋中などの校長を歴任。1984年退職。エヒメアヤメを守り育てる会の会長を10年務めた。現在、県の自然保護推進委員
●守り育てる会会長に聴く保護活動とエヒメアヤメの未来
先輩の思いを継ぎ、また次の世代へ。
一面が紫の花で埋め尽くされる日を夢見て。
重労働な保護活動多くの人の手助けを
自分たちには、吉本さんら先輩たちのように、育苗や裁判の研究をするなど専門的な知識はありません。自分では「草刈り隊長」を名乗っています。植物の専門家もいれば、力仕事担当もいて、そういったさまざまな人が集まり保護活動を行っているのが「守り育てる会」です。ただ、国指定への働きかけや保護活動を昼夜を問わず行ってきた先輩たちの思いは、必ず未来へつないでいきたい。それが指名だと思っています。しかし、会員の高齢化が進み、若い人でも50代。保護活動は、傾斜地の草刈り、野焼きなど非常に重労働で会員だけではとうてい続けていくことはできません。小林地区建設業協会や地元の手伝いもいただいていますが、人手が足りていないのが現状。限られた人ではなく、多くの人に保護活動に参加してもらいたいですね。
市民みんなの力で自生地一面を紫に
自分の夢は、若い人も高齢者もエヒメアヤメの素晴らしさを知り、保護に関わってもらうこと。そして自生地の一面が紫の花で埋め尽くされるとうれしい。
エヒメアヤメを見に人が集まり、笑顔と交流が生まれる。それが地域おこしにもつながると思います。
エヒメアヤメを守り育てる会会長・大薗 良一さん
NPO法人西諸地域活動センター菜の花「菜の花作業所」の施設長も務める大薗さん。そこで作られたエヒメアヤメの造花を手に「団体の枠を超え、できることをやっていきたい」と微笑む
エヒメアヤメを守り育てる会
平成4年に設立。団体構成34人。盗掘防止パトロール、開花調査、育苗の研修会、自生地の草刈り・野焼きなどの活動を行う。各地のエヒメアヤメの保護活動を行う団体との交流も積極的に行っている
歴史的にも貴重な植物エヒメアヤメ
エヒメアヤメ(古名=誰故草)は、もともと現在の中国北部やロシア極東などに分布していた多年草。日本列島がユーラシア大陸と陸続きであったことを示す貴重な植物といわれています。日本では、明治30(1897)年に愛媛県で最初に発見され、地名にちなみ「エヒメアヤメ」と呼ばれるようになりました。
世界の中で、小林が真の自生南限地帯
その後、より南限に位置する自生地がいくつも発見され、次々に国指定の申請が出されました。一度指定を受けた場所は今でも「自生南限地帯」とされていますが、 一番最後(昭和43年)に指定された小林市の自生地が、真の南限地ということになります。現在、全国で6カ所が 「自生南限地帯」の国指定を受けています。
40カ所あった自生地も今では5カ所に
50年前までは、市内に40カ所以上自生地がありました。当時は、馬や牛に草を食べさせるため、野焼きや草刈りが行われ、エヒメアヤメが生息しやすい環境にありました。現在、自生が確認されているのは、5カ所。 そのいずれの自生地も、株数は減少しています。
守り育てる会による懸命な保護活動
環境の変化と心無い人の盗掘などが減少の原因です。生駒にある国指定の自生地では、守り育てる会による盗掘防止のためのパトロールや、生育しやすい環境をつくるために、草刈りや野焼きなどが行われ、エヒメアヤメは自生を続けています。しかし、まだ活動に参加するのは限られた人たちです。ずっと未来に残していくために、多くの人の協力が必要です。
世界に誇れる貴重な植物が自生する環境を皆で守り育てていきたい
まずは知ることから始めませんか
世界でエヒメアヤメが自生する南限は日本。その日本の南限が小林市です。「エヒメアヤメ自生南限地帯」は、世界に誇れる市の貴重な財産といえます。しかし、人の手で適した環境を保つことで、何とか自生を続けているのが実情。また、保護に関わる人は限られており、国指定の天然記念物であることを知る人も多くはありません。この財産を未来に残していくためには、まず一人一人がその価値と現状を知ること。その良い機会となるのが、3月29日(土曜)に開催される「エヒメアヤメを守る全国シンポジウム」です。30日(日曜)には、勧請丘公園で花咲くエヒメアヤメを観賞できます。私たち市民みんながエヒメアヤメのことを知って、世界に誇れる貴重な植物が自生する素晴らしい環境を守り育てていきましょう。
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