~都農港の築港工事 (1)幕末の工事~
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美々津から青島に至る海岸は、入り込みのない単調な海岸です。その中で、都農福浦は昔から福浦湾と呼ばれているように、湾状を成し、深さも和船だったら大型船と呼ばれる船がいかりを下ろすことができます。しかし、湾状といっても、沖の波をまともに受ける欠点があります。それを防ぐには防波堤が必要です。
そのようなことから、防波堤建設の話が出てきたのです。地元の高鍋藩はもちろん、近くの佐土原藩、遠くても城下から真っすぐに都農に通じている鹿児島藩。しか し、これらの藩も港が出来れば便利と思いながらも実施は延々となっていたのです。しかし、安政ごろから時代は急速に動くようになりました。それに呼応するかのように、薩摩藩の担当者9人、佐土原藩の担当者7人が来て、三日二晩がかりで現地調査をしました。薩摩藩の調査指揮は旧中源五左衛門。佐土原藩の奉行役は遠藤周二郎(他の氏名は略)、都農からの立会人は赤木藤左衛門、緒方弥兵衛らです。
調査の結果、工事着工の運びとなったのですが、堤防が150間(約270km)ほど出来た元治元年(1864)の旧7月7日、台風で無残にも破壊されてしまったのです。現在の堤防はその跡の上に作ったといわれます。
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