昨年、姉妹都市提携年を迎えた菊池市と西米村。室町時代、菊池一族の子孫が米良へとやって来て以来の縁である両市村では、今でも活発に交流が行われています。西米良のルーツともいうべき菊池。この夏、歴史を感じに出かけてみませんか。

菊池一族がつなぐ縁

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西西

菊池一族がつなぐ縁

 熊本県の北東部に位置する菊池市は、平安時代中期から450年にわたって栄えた菊池一族の城下町です。平安時代中期、太宰府の高官だった藤原則隆公が、菊池に下向し、地名である菊池を名乗ったのが菊池一族の始まりとされています。以降、室町時代後半までの約450年間、菊池地域を中心に繁栄を続けました。

 なかでも、一族が隆盛を極めたのが15代武光公の時代です。南朝方の武建して、後醍醐天皇の子である懐良親王を征西将軍にいただいて北朝方に勝利し、九州を統一したのです。

 西米良と菊池一族との交わりは、 22代当主の能運公の時代のこと。 室町幕府の追討による菊池一族根絶憂いた能運公が、子孫を米良へと落ち延びさせたのです。米良へとやってきた子孫は、性を菊池から米良へ改めたといわれています。

 この菊池一族ゆかりの縁があって、菊池市と西米良村は昭和58年に姉妹都市盟約を締結以来、民間レベルでも活発な交流が行われています。


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