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今回は、小学校卒業後に秋田県で民謡を15年間修行した、
民謡歌手・三味線奏者の長友晴香さんです。

秋田民謡を始めて15年三味線や手踊りも披露

[稽古は悔しさをバネに]

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秋田民謡を始めて15年三味線や手踊りも披露

全国に数ある民謡の中でも、とりわけ明るく楽しげな曲調が多いといわれるのが秋田民謡。長友さんは自らの意志で秋田民謡・梅若会に内弟子として入門。以来、15年にわたって民謡の技術に磨きをかけ、今年帰宮しました。
 
「秋田民謡には独特のこぶしがあり、宮崎生まれの私にはとても難しいもの。内弟子時代はカセットテープの再生速度を落として何度も何度も聞きました。試行錯誤は今も続いています」と微笑む長友さん。舞台では、三味線や手踊りも披露するそうです。 


稽古は悔しさをバネに

▲きょうだい弟子と練習に励んだ長友さん(左)。秋田では数々の舞台を経験しました。

長友さんが民謡に目覚めたのは3歳の頃。おどり太鼓美波会の中原ちよみ先生の演奏に、強い印象を受けたそうです。

そのご主人、中原生人師先生が尺八や三味線のほか民謡を教えていたことから、長友さんは民謡の道へ。小学校時代は学校が終わると母の車に乗って稽古に行き、夜遅くに宿題に取り組むという日々を過ごしていました。

長友さんは「今週末は老人ホームを慰問、その次は民謡大会…というように、小さな目標が連続していたので、立ち止まって考える暇はなかったですね。特に私は本番に弱く、いつも失敗していました。辞めずに続けてこれたのは、その時の悔しさがバネになったからかもしれません」と振り返ります。 


民謡の技術と経験を生かし宮崎と秋田の懸け橋に

転機が訪れたのは小学4年生の時。同じ宮崎市出身で、すでに梅若会の内弟子だった浅野京子さんの帰郷リサイタルを見に行った長友さんは、本場の歌と踊りを体感して心を揺さぶられたそうです。

「その時に初代師匠・浅野梅若さんにお会いしました。小学5年生の夏休みは秋田の師匠宅で過ごし、その結果、内弟子として秋田に行きたいという気持ちが固まりました」という長友さんは、小学校卒業と同時に単身で秋田へ。

師匠や姉弟子に支えられながら、掃除や師匠の付き人をするなど修行を重ねました。 

民謡大会で優勝した実績は数知れず。「それでも、未だに舞台に上がる時は緊張します」と笑う長友さんは、これからは秋田での経験を生かし、民謡で宮崎を盛り上げていきたいそうです。

「宮崎市佐土原町と秋田県大仙市は有縁都市として交流があると聞きます。宮崎と秋田に育てていただいた身として、恩返しができれば幸せです」 


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いつも本番でうまくいかない。ここまで続けてこられたのはその悔しさのおかげかも知れません。|(長友 晴香さん)-キラリ宮崎人vol.19 写真

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