京町温泉が開湯してから約100年が過ぎようとしています。
観光客はピーク時には年間60万人にも達し、宮崎県を代表する温泉街でした。
しかし、観光ニーズの多様化や旅行者の小グループ化、温泉を観光資源として活用する自治体の増加などもあり、入込み客数は、減少の一途。
さらに、追い打ちをかけるかのように口蹄疫、新燃岳噴火の影響が重なり、観光客数は、ピーク時の3分の2になっています。
「再び、にぎわいを取り戻したい」危機感を持った経営者や若者等で構成する「京町温泉活性化プロジェクト」が立ち上がりました。
「真の幸せまちづくり京町温泉活性化を核として」を合い言葉に、さまざまな取り組みがスタートしました。
[衰退する京町と高まる危機感]
京町温泉が開湯してから約100年が過ぎようとしています。<br>観光客はピーク時には年間60万人にも達し、宮崎県を代表する温泉街でした。<br> しかし、観光ニーズの多様化や旅行者の小グループ化、温泉を観光資源として活用する自治体の増加などもあり、入込み客数は、減少の一途。<br> さらに、追い打ちをかけるかのように口蹄疫、新燃岳噴火の影響が重なり、観光客数は、ピーク時の3分の2になっています。<br><br>「再び、にぎわいを取り戻したい」危機感を持った経営者や若者等で構成する「京町温泉活性化プロジェクト」が立ち上がりました。<br> 「真の幸せまちづくり京町温泉活性化を核として」を合い言葉に、さまざまな取り組みがスタートしました。
京町をどげんかせんといかん
衰退する京町と高まる危機感
衰退を前にして、 これまでも京町温泉再生の取り組みが行われてこなかったわけではありません。
先進地の視察、地域活性化の講演などが繰り返し行われてきました。
しかし、視察や講演が終わったら 「よかった、 よかった」 で終わってしまい、 地域の活性化の足がかりには、 なり得ていませんでした。
「このままじゃ京町が衰退するばかりだ」 「誰かがやるだろうではいけない、 自分たちでどげんかせんといかん」 。
旅館や商店の経営者や後継者には、 自分たちのまちは、 自分たちで盛り上げていかないといけないという危機感が高まっていました。
しかし、 当時の京町地区には、 そういった思いをぶつけ合う場がなく、 その気持ちは、 それぞれの内に秘められるだけのものでした。
立ち上がったのは、地元の経営者や若者等を中心とするメンバー
そんな中、平成21年6月、転機が訪れます。 市は、 そういった地域住民の思いをぶつける場になればと、 京町温泉活性化プロジェクト設立準備会を開催しました。 準備会で問題意識の共有を図ることができたことから、 同月、 真幸地区公民館で地元の経営者や若者等を中心とするメンバーと市観光商工課で構成する京町温泉活性化プロジェクトが立ち上がりました。
京町温泉活性化プロジェクトの主体は、 地域の皆さんです。 市 (行政) は、 運営のサポートや地域再生へ国や県の補助金を活用するなど裏方に徹しています。
プロジェクトの会員は、 現在、 旅館業、 商工業、 飲食店業、住民など37人です。 会員は、「真の幸せまちづくり京町温泉活性化を核として」 を合い言葉に京町温泉活性化に動き出しました。
京町温泉活性化プロジェクトでは、 「食・ものづくりプロジェクト (鹿ん南蛮など) 」 、「交流・連携・絆きずなづくりプロジェクト (京町温泉マップ) 」 、「景観づくりプロジェクト (のれん、 観光案内板など) 」 、 「空き家再生プロジェクト (チャレンジショップなど) 」などに分かれ、 それぞれの分野で京町温泉活性化に向けたさまざまな取り組みを行っています。
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