▲写真
曾井城あとから働馬寄の村落をのぞむ。
手前は曾井、向こうに白くみえるのは市街地のビル。

昭和36年4月から連載されていた「地名をたずねて」。
市内のいろいろな地名の由来を当時の文章をもとにお届けします。

[]

<br /> <br /> <br /> <br /> 364<br /> <br /><br />

 働馬寄というのは市内大淀にある集落の名である。
「日向地誌」にものっていて、城ケ崎の西の方にあたる古い集落である。

[中略]

 近くの郡司分という集落などは、郡司という役人の給料にあてられた田のあったところである。それで働馬寄 にもなにかそんな意味があるかもしれない。とすると馬寄というのは車寄と同じで、乗るための馬をつけるとこ ろという意味である。

[中略]

 むかしは馬はのりもので今の車と同じであった。そしてここは曾井城の東に当るから東馬寄がドーメキに なったのではなかろうか。この近くの城ケ崎の城も曾井城を指すものと思われるから、その西にあるこの集落は 曾井城との関係を考えないわけにはいかない。


この記事をおすすめする人

「どうめき(働馬寄)」昭和36年4月 「地名をたずねて」より 写真

miyazaki ebooks編集部

宮崎県内の観光・情報誌や広報誌などを電子書籍にして、厳選された記事を読みやすくお届けします。

こちらもおすすめ

人気記事

おすすめトピック