昭和35年4月号から1年間連載されていた「地名むかしむかし」。
市内のいろいろな地名の由来を当時の文章のままお届けします。
昭和35年7月号より

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 宮崎市内の地名には相当古いものが多いが、この大塚(おおつか)もまたその一つである。ここを大塚というのはここには古墳が多いからで「日向地誌」によると明治の初めには、ここに九つの塚がありこのほか大小四十余の塚が散在している、とある。


[ 中略 ]


 古い時代には大墓といった。墓も塚も同じものである。記録をたどれば、平安時代に大墓別府という荘園があった。


[ 中略 ]


 そこで大墓が大塚になったのは、いつかというに、正確な文書がないが天正19年(1591)の日向国五郡分帳には宮崎郡に大塚三十町として村名が出ているから、近世のはじめごろと思えば間違いはあるまい。

すなわち豊臣秀吉が天下を統一して村の制度を確立したころに大墓を大塚に改めたのであろう。


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